ホフマン窯


 ホフマン窯(がま)は大量の煉瓦を焼くための大きな窯です。日本に現存するものは4基ほどしかないそうです。深谷のものもその一つです。
 ホフマン窯についてはこちらを参考にしてください。
   ウィキペディア ホフマン窯
 
 
深谷市のホフマン窯臨時公開
 
 平成21年1月24日(土)~25日(日)
 午前10時~午後3時
 日本煉瓦製造(株)旧煉瓦製造施設
 深谷市上敷免28-10
 
 初日に森の父さんと行ってきました。現地に着いたのは公開時間の10時頃でしたが驚きました。車が止められたのは既に奥まった所。受付はかなりの人だかりでした。
 窯内の見学はヘルメットをかぶらないと入れなく、貸与のヘルメットは数十人前で品切れ。見学は2番手になってしまいました。「こんなことなら時間をもっと遅らせて来れば、すんなりはいれたかな~」などとのんきなことを言っていたら、「あらまっ!」です。後続は長蛇の列。
 
 100余年の歴史を感じて来ました。明治21年(1886年)の操業から平成18年(2006年)の操業停止閉鎖まで実に120年間。ホフマン窯が完成してからも100年という歳月が過ぎています。
 窯の内部に静かに漂う空気は、正に1世紀を感じさせてくれました。
 ドイツ人、フリードリッヒ ホフマン氏が訪れた頃の深谷のこの地、どんな光景だったのかと想いを馳せました。
 小山川の遙か北には、日光の主峰、男体山がそびえ、微かに日光白根がその頂を覗かせ、さらに左には雪を抱いた袈裟丸山、そしてその左にはド~ンと赤城の峰峰が連なっています。100年前も今も、ここから見える山々は同じに美しかったのだろうと。
 100年と言う歳月は人の営みを、社会の仕組みを変化させるには十分な長さですが、人工物であるホフマン窯は、窯からそびえる煙突が眺めてきた山々と同じくらいドッシリとした重みを持って、その地に腰を据えていました。敷地内の一角には当時、「異人館」と呼ばれた洋風の建物も残っています。ドイツ人技師が令嬢と暮らしていた事務所件住居で、現在は「資料館」として使われています。
 さらに片隅には、煉瓦造りの「旧変電室」が残っています。
 このホフマン窯の残された施設まで深谷駅から遊歩道が伸びています。この遊歩道は深谷駅まで煉瓦を運ぶ貨車の線路跡を利用して作られています。
 利根川の北にそびえる山並みを眺めながらの散策に、訪れてみてはいかがでしょうか。

                                         執筆 すみとち
 
 深谷市のホフマン輪窯については
 「深谷市教育委員会」のこちらのページを参考にしてください。
 
 追記
 このホフマン窯や資料館は現在一般公開されていません。今回のような臨時の公開がなければ見られないそうです。時々は臨時公開するそうです。
 将来的には一般公開を考えているそうですが、何しろ中はヘルメットを被らなければ入れない状態ですので、修復に手間とお金がかかりそうです。一般公開は何時になるか未定とのことです。

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ホフマン窯自体、すべて煉瓦で出来ています。
これは入り口部分です。手前は人が楽に入れる幅と高さを持っていますが、奥に行くと頭をこごめないと入れない斜めの構造になっています。


ホフマン窯内部。本体部分です。
これは右部分。かなり広く、左右は4mくらいでしょうか。天上も一番高い部分は手を伸ばしても届きません。それにしても、煉瓦でこの構造を組むのはたいした技術が必要でしょう。


こちはは左部分。左右同じようですが、実は奥でカーブしてつながっています。全長は数十mあるそうです。
もちろん手前も入り口部分でつながっています。全体が陸上のトラックのような感じになっているようです。そこからでしょうか、「ホフマン輪窯」とも言うようです。


 さて、この筒抜けの窯でどうやって煉瓦を焼いたのでしょう。中はどうやら18の焼成室に仕切られていたようです。おそらくそれも煉瓦で仕切っていたのでしょうね。18の焼成室に順繰りに焼く前の煉瓦を積み、火を入れ、焼きあがったものを取り出す。これを輪を描くように続けると、永遠に焼き続けられるという寸法のようです。
 ではその燃料は何でどうやって入れていたのでしょう。それが下の写真です。
 
窯の中の天上部分です。
穴が開いているのがわかるでしょうか。ここから石炭を落としていたとのことです。


今現在、ホフマン輪窯の外装を見ることは出来ません。このように最近の建物で覆ってあります。
煙突にぐるりと突起があるのがわかるでしょうか。昔はこの高さまで建物が覆っていたそうです。大きな二階建てだったのです。上に石炭など燃料をため、そこから下の窯に落としていたとのことです。


これがホフマン窯が入っている建物の遠望です。前には沢山の見物客がいます。


こちらが説明に出てきた「異人館」事務所です。木造ですが、明治初期の西洋建築の様式をよく残しているとのことです。


こちらが、正面玄関。今は資料館の看板になっています。


これは横ですが、何故か懐かしいたたずまいです。そうです。昔の小学校中学校の木造校舎はこんな感じだったような気がします。


資料館の中には煉瓦工場に関するものなどが沢山保管されています。
例えば、これはホフマン窯のジオラマ。


資料の古い写真も。
左下の2枚はホフマン窯のようです。


ここで作られた煉瓦で建てられた建築物の写真も沢山ありました。有名なのは東京駅とこの赤坂離宮(現迎賓館)ですね。


これはおまけ。ちょっと目についたものですから。
豪華なシャンデリアではありませんが、温かみのある堅牢なシャンデリアでした。


事務所のすぐ裏に小さな煉瓦造りの建物があります。それが「旧変電室」です。全部赤煉瓦の綺麗な建物です。
なんだか、おとぎの国の煉瓦のお家・・・みたいです。


ぐるり回るとこれまた小さな入り口があります。
左奥に少し見えているのは「旧事務所」です。


入り口の前には重要文化財の看板があります。